卒業生インタビュー Vol.48
今回の和光人インタビューは、高・大と和光で学ばれた三井透さんと、その息子さんで鶴小・中・高と和光学園に学ばれた三井智哉さんのお二人に親子インタビューをおこないました。 2009年11月に息子の智哉さんが北海道で車の大事故により、頸椎損傷になって車椅子生活を余儀なくされました。その後はリハビリに励み、現在は元気に仕事をしているとのことで、その苦難とこれからについて語っていただきました。 インタビュアーは当時和光中高校長だった両角先生にお願いしました。 (聞き手…当時 和光中学・高等学校校長・現和光学園常務理事 両角憲二先生) 今回の和光人インタビューのいきさつ 聞き手 : ご無沙汰しています。智哉くんとは2020年1月、コロナ禍前の和光中バスケ部新年会で、会って以来ですね。あの時、「智哉、どうしてる?」「会いたいな」って声があがり、私が電話したら、(お父さんの)透さんが送って来てくださった。バスケの連中とも久しぶりだった? 智哉 : ホントにあの時は久しぶりでした(笑) 聞き手 : みんなもとても心配していたから、智哉くんに会えて、すごく喜んだよね。 さて、今回のインタビューですが、引き受けていただきありがとうございます。 和光学園HP内『和光人 卒業生インタビュー』は、学園広報委員会が担当して老若男女色々な卒業生の活躍を紹介していますが、「次回の「和光人」誰が良いか?」という会議の中で、「あのMくんは、その後どうしていますか?」「Mくんって?」「和光中学卒業式の式辞で、両角先生が話されたMくんですよ」「あー、あの三井智哉くんね。その後どうなっているんですか?」「知りたい人、たくさんいるでしょうね」ということになったんですよね。 ということで、今日はよろしくお願いします。 智哉くんが大学卒業するはずの2013年3月、私は和光中学の卒業式で智哉くんのことを話したいと思い、お父さん=透さんに電話して「式辞で智哉くんのことを話して良いでしょうか」を確かめたんですよね。智哉くんのOKももらい、再三の電話で事実を確かめた上で私は式辞原稿を書きました。 卒業式当日、なんと保護者席にお父さん、お母さん、弟の雄哉くんの姿を見つけたときには、本当に緊張しました。HP「校長室から」に、私が退職した2015年まで掲載されていましたが、式辞原稿をプリントしてきました。 ここで2013年3