卒業生インタビューvol.44


今回の和光人インタビューは、中学・高等学校・大学と和光学園で学ばれ、苦労されながらもみずからの道を切り開いてこられたフードコンサルタントの三ツ井創太郎さんにお話をうかがいました。

(聞き手…中学2年・3年時の担任  佐藤英次先生)



最近の様子について


聞き手: 和光の広報担当者から、三ツ井くんがビジネス系の記事やネットニュースにも掲載されていて、いま結構取り上げられているっていう話がありました。このインタビュアーを受けるにあたって三ツ井くんの書籍(「飲食店経営“人の問題”を解決する33の法則(DOBOOK)」)を購入して読んだよ。内容が飲食店経営のことなので、数学教師の自分に分かるかなと思って読み始めたが、本の内容の設定が具体的で的確に書かれていて、図や表などを駆使して納得できる分析が書かれていた。数学の証明と似ていると思った。よく練られているよね、まったく感心したよ。後半は夢中で読んでしまったよ。

三ツ井: わざわざ本を買ってくださったんですね。ありがとうございます。

聞き手: 私の知っている三ツ井くんの仕事はコックさん時代で止まっているのだけれど、またどうして飲食店のコンサルタントになったの?
三ツ井: うちの家はもともと父がアパレル関係の会社を経営していたのですが、私が学生時代にバブル崩壊で倒産してしまった父をずっと横で見ていたので、当時から「いつか経営者の方を助ける仕事をしたい」と思っていました。和光大学卒業後に一旦は飲食関係の会社に就職したのですが、コンサルタントになる夢を諦められず30歳でコンサル会社に中途で就職したのがコンサルタントになったきっかけです。
ただ、いざコンサルタントになってみたら、本当に大変でした。上場会社だったのでライバル社員が1,000人くらい居て、入社して2年間は休みすらなく、月の労働時間が多い月だと450時間位はいってました。当時はもう無我夢中でしたよ。
その上場コンサル会社で5年間働いて独立しました。今では自分の会社を立ち上げて仕事をさせてもらっています。中学からの和光の同級生の前田とも良く会っていて、彼はIT業界ですが、飲食業界もそういうIT分野においては遅れているので「飲食店のDX化を促進しよう!」という思いから、2人でIT関連の会社も一つ立ち上げました。この会社でサブスク型の評価制度システムやDXマーケティングシステムも作っています。
聞き手: 私は数学の教師だけれど、PCは大嫌いだし、今の30~40代の人はそれこそ当たり前のようにPCを使うからね。 ソフトを開くために手続きが必要じゃない。昭和の私からすると隔絶の感があるよね。
三ツ井: うちの娘は和光鶴川小学校に入れているんですけれど、小学校時代はとにかく手を使って楽しみながら学ぶことが大切だと思っています。この考え方は和光小学校の授業でも凄く意識されていると思います。プログラミング授業とか、ネットに触れるのはもう少しあとで良いかなと思っていて、今ってネットで調べれば何でも出てくる時代なので、自分でやってみよう!っていう気持ちがすごく大事だと感じています。 鶴小の学校説明会で「小学校の低学年はプログラミングよりも折り鶴や図工で手先を鍛える事が大切」と言っていたのがとても印象的で、私もそれには同感です。
でも、和光の授業はセット教材等を使わない分、先生の「手作り」の部分が多いでしょうから、先生方も授業作りがスゴく大変ですよね。
社会人になってみて、和光の教育や授業で培った「考える力」や「世の中を生き抜く生命力」の有り難さを改めて感じました。来年は息子も鶴小に入れようと思っています。これからの時代はますますこういった力が必要になってくると思っています。

コロナ禍で思うこと


聞き手: 小学校時代は体験など身体を通して学んでみるっていうのは大事だよね。中学生になると、もっと教員を配置して学力差を埋めていくようなやり方ができるともっと良いと思っているんだよ テストだって1桁台から100点までいるからね。その差は激しいね。
春休みや夏休みに分からない子を呼んで補習したいけれど、このコロナ禍ではなかなか難しいね。どこでもそうだけれど、学力差はますます開いていくのではないかと。
飲食業界はこのコロナ禍での倒産は多いの?
三ツ井: 飲食業界は、助成金や補助金等の支援はコロナ禍直後と比べてだいぶ進んできてはいるんですが、長い間営業ができていないお店も多く、スタッフモチベーションが下がる等の新たな問題も出てきています。
こうした中で当社では行政等に対しては、コロナ禍でも生き残れるような飲食店をつくる支援が大切だとお話をしていて、最近ではこういった考え方に賛同してもらった青森県や東京都等の行政と一体となった飲食店支援もスタートしています。これから、助成金・補助金が下がっていったときに生き残れる力があるかどうかが重要です。
コロナ前には和光時代の仲間と良く会っていましたが、ほぼみんな経営者になってましたね(笑)。
歳を取ってから会っても一瞬で当時に戻れるのが「和光の仲間」かなーと思いました。
改めて、今みんなに会って話をすると、本当に皆のパワフルさに驚かされます。
和光の教育というのは、いちいち自分達で考えなくてはならなかったんで、決まりきった箱が用意されていない中で、一つひとつ考えるクセが身についているんだろうと思います。それが社会人になってからのパワーになっているんだと思います。
私も上場会社に就職した時に、周りの超高学歴の人がいた中で、和光で培った角度が違う多角的な見方・考え方が役に立ちました。それはいわゆる「生命力」というか、「考え方の角度」というか、物事をルールの中だけで考えないという柔軟さは、組織の中での個性や差別化の発揮には大きく寄与しました。

佐藤先生、過去と現在の生徒の違いをふり返る


聞き手: '90年代から2000年代前半くらいまではもの凄くエネルギーのある生徒が結構居て、しょっちゅう問題は起こるんだけれど、自分たちで解決しようとする動きが多分にあったと思うよ。まさにその時代だよね。
昔は、教師の側が「Aでいこう」って言うと、「Bでも良いんじゃない?」 とか、「Cでも良いんじゃない?」…ってみんなでわさわさとやっていたイメージがあるね。
今よりもいろいろと問題行動は起き、その指導がとても大変だった。でも、面接やHRの話し合いの中で、その生徒の内面的な良さも見えてきて、親和会では評価できることや将来伸びるきっかけを切り取って話したり、考え合いながら指導していくことが浸透していった時代だったんだ。
最近の生徒は、昔に比べおとなしくて授業とか行事はとってもやりやすいんだけれど、特に数学は生徒の頭の上をスーッと素通りしてしまうところがあるような気がしているんだ。それだと、事は動くんだけれど、蓄積されない難しさはあるのかな。
10年位前、放っておくと休み時間にゲームやスマホにくぎ付けになり、授業中にもついついゲームやスマホを隠れて触れてしまう弱さはあったんだ。それをどうしたら良いかということになって、ある学年はゲームやスマホ問題が繰り返されたら停止にするよ。それでも約束違反をしたら没収し、学年を使用停止にするよ」…っていうことになって、しかしゲームやスマホ問題が繰り返され、とうとう使用停止になった。そうしたら、休み時間の生徒同士の対話も多くなったし、授業も入りやすくなったし、良いことずくめだった。
ゲームやスマホの使い方をキチンと生徒に理解させないといけないという思いがあってね、学年の取り組みが全校の取り組みになったこともあったね。
学校代表と生徒会執行部の話し合いを重ね、その学年の取り組みを全校の取り組みにしようという提案がなされた。あるべき学校生活を考えたとき、朝の会から帰りの会までゲーム機やスマホには触れないという提案を執行部が出し、生徒総会で議論した。賛成が半数以下、反対も半数以下ということがあったね。結局、その年は保留ということになった。翌年も生徒会執行部が再度提案して、フロアもだんだんと理解する生徒が増えて、可決・成立したということがあった。
そこで思ったのは一言で片付けられるようなことでも、生徒たちは2年間議論して決定したことは守る!ということなんだ。何かを決めるということは、教師の言うことがいくら正しかったとしても、それを受け止めるのは生徒がどう思うかで、まったく違ってくる。
その後、画像をSNSに勝手に投稿するという問題も起こったので、学校では写真機能を使ってはいけない。行事などでどうしても撮らなければならない場合に関しては学校や相手の承諾を得て撮る…。それ以外は写真を撮ってはいけないなど、色々なルールを生徒会として作ったんだ。
今は、情報教育も充実し、SNS絡みの問題で学校として指導していることは、ほとんどないね。
インタビュアー(佐藤)

和光で学んだ力(和光の自治と企業自治って近いモノがある?!)


三ツ井: 私自身も和光時代にディベートしたり、敢えて反対意見を出したりすることによって培われた力が大きいと思っています。それは、中・高・大で培われた力かな?って思います。
これからの世の中は、暗記一辺倒で量を学ぶというよりも、立ち止まって自分の頭で考えていくこと。あれ? これ?!って…と疑問を持って学ぶ勉強のほうが重要になってくるのではないでしょうか。
現代って、ネットで調べたら、何でも出てくるじゃないですか?なので人間が暗記しただけの物事の価値はどんどん減っていくと思うんです。授業を詰め込みや暗記でやるよりも、それをどう活かしていくか、これからは「生きる力」や「考える力」を養っていく事がより重要になってくる気がするんです。企業に入ったら、ボケ~っとしていたらどんどん現状に流されてしまって、気が付くと自分の仕事の意義や価値を見出せなくなってしまう人も多いと思います。だからこそ立ち止まって考えることは大事だと思っています。
私はコンサルタントという仕事柄、企業の組織作りのご支援なども多いのですが、その場面においても和光のような「主体性」は凄く大事だと思っています。企業でもルールを決める際には、経営者側のトップダウンで決めていくだけではなく、幹部メンバー等と相談して決めていく事が大切です。企業の経営理念などに関しても単に文面を暗記させるだけでは何も伝わらないのですが、経営理念について話し合うディスカッションや研修等を重ねる事で、ただの「文字」であった経営理念が「文化」になっていきます。
とある企業での事例なのですが、以前は経営理念などが全く無く、社員の主体性も乏しかった企業が、繰り返し経営理念等を考える取り組みを繰り返した事で大きく変わりました。こちらの企業は毎日スタッフが日報を書いているのですが、経営理念がだんだん浸透してくると、スタッフの日報の中で経営理念や行動指針等がキーワードとして何度も登場するようになっていきました。
会社というのは、たとえ同じ場所で働いていたとしても、みんな生い立ちも違うし、育った環境もバラバラなので、ある意味同じ日本人だけど価値観の違いは「外国人同士」みたいなものだと思うんです。その多様性を尊重しつつ一つの「まとまり」を作っていく為にも経営理念という共通言語が必要だと思うんです。
これは和光の「多様性と自由を尊重する」という理念をベースに学校の自治をしていくという考え方に通じる部分があると思っています。
私自身は和光でこういう教育を経験してきたので、理念、主体性、自治というのが幼い頃から染みついているのですが、そういった経験を学生時代、社会人時代にしてきていない人からすると、なかなかイメージができないようです。そのためか、理念を軸にスタッフの主体性を尊重した企業組織文化づくり等の構築を行うと、そこの企業の社長さんから「魔法に掛かったみたいだ」と喜んで頂ける事も多くあります。
先ほど佐藤先生がおっしゃった学園内でのスマホ利用のルールのお話も一緒で、学校からの一方的な押しつけでは無く、生徒に主体性をもってルールを作ってもらう為には手間がかかります。
これは企業経営においても同じで「理念」や「信念」を浸透させるのは手間と根気が必要なのです。これからの時代は小手先のやり方だけでは通用しない時代だと感じています。
聞き手: こういう経営のノウハウはどこで学んだの?

コンサルティング業の大切さ


三ツ井: 就職後すぐに札幌の百貨店のお店で初めて店長に抜擢されて、それこそアルバイトから総スカン食らいました。学生時代に人の使い方なんて学ばないじゃないですか? 全然ダメで店が赤字に陥って、スタッフからも全く相手にされなくなって、そこから必死で経営学や組織論等の勉強をし始めました。
その中で色々な考え方や、やり方を知り、色々と実践し6ヶ月くらい経った頃、やっとそのお店が5
千円位の黒字になりました。その経験から「常に学び続けないといけない!」と心から思うようになりました。
その後も飲食企業の営業責任者をしながら、夜間の専門学校で中小企業診断士の資格の勉強を始めました。中小企業診断士の試験は7課目くらいあるんですけれど、経済学・財務会計・マーケティングなどを延べ2,000時間くらいは勉強しましたね。この時は和光時代の何倍も勉強しました(笑)
中小企業診断士の1次試験が受かった段階で、実際にコンサル会社を受けてみようと思っていました。その2次試験の面接の日と、コンサル会社の面接日とが偶然にも被りました。やはりコンサル会社に行きたいと思っていたので、コンサル会社のほうの面談のほうを選びました。
その時のコンサル会社の面談で、東京で面接を受けているのに「三ツ井さん、大阪採用です!」と言われたんです。「今すぐ奥さんと一緒に引っ越して来られますか?」という質問でした。すぐそこの場で、「行きます。やらせてください!」と即答したのですが、あとから聞いた話では、大阪まで引っ越す覚悟があるのかどうかだけを聞く試験だったそうです(笑)。コンサルタントという仕事は、異次元の忙しさなのでそれ位の覚悟が無い人は直ぐに辞めてしまうという事です。
その後、夢であったコンサル会社で働く事になるのですが、今思い返せば宝物のような経験なのですが、当時はまさに「地獄のような修行」の日々でした。4日徹夜とか、徹夜続きで気絶しないように氷を握りしめながらパソコンをしたり、点滴しながら仕事をしたり、日帰りで1日2カ国の海外出張とか、2年休みが無いとか、今思い返すと本当に異次元の働き方をしていました。
そうやって5年間のコンサル会社勤務で蓄積してきたノウハウを体系的にまとめて2017年に初めての著書を出版しました。
聞き手: いくらコンサルティングと言ってもこの本の中にあるこんな細かい表は作れないよな。オリジナルを組み込んでいるから、一つひとつの表が明快に出来ているのだろうね。大したもんだよ。
三ツ井: 最初に本を執筆し始めた時は慣れていないせいもあって本当に大変で執筆に10カ月位かかってしまいました。ちょうど今2冊目の出版のお話を頂いたので、アフターコロナ時代やこの先5年、10年後を見据えた本を書きたいと思っています。 この本が日本全国の飲食店経営者の方に届けば良いなと思っています。
最近では行政から依頼を受けて地方でコンサルティングをさせて頂く機会が多いのですが、地方の経営者のみなさんは情報が少ないので「最新の飲食店経営のノウハウを知らなかったから負けていく」という状況をよく目にします。うちの会社でできる事は限られていますし、少しおこがましいと思いますが、こうした経営者の方をどうやって救うかというのは、うちの会社の活動理念の軸になっています。

成功する3条件


成功する3条件というものがあって、①素直であること。②勉強をすることが好きであること。③(学んだことに)プラスして発想することができることだろうと思います。
聞き手: 数学嫌いをどう面白くするのかと似ているね。
三ツ井: 中学では、1週間前くらいから勉強会をして楽しかったですよね(笑)
聞き手: 私は、前田・三ツ井くんたちのことは片時も忘れたことはないよ(笑) 秋田の乃三さんの農家に行ったとき、君たちが宿泊した部屋の洗面所でドジョウが泳いでいたりもしたよね(笑)きっと、農家の用水路に入って貰ってきたんだろうけどね(笑)
三ツ井: 秋田も懐かしいですね~。ノンビリ時が流れていて良かったなぁ。

和光学園を知るきっかけ


聞き手: ところで、三ツ井くんが和光を知ったきっかけは何だったの?
三ツ井: 親が何校か探してきて、それこそもう少し近いM学園とかもあったのですが、やはり自由というのと、私服というところも良かったので自分で決めました。もちろん、文化祭にも行きましたし、ここに行きたい!と思うようになりましたね。面接では「何でこんな遠くの学校に来るの?」って言われたんですけれど、横浜の実家から2時間くらい掛けて毎日通いました。
聞き手: 中学校にはすぐに馴染めたのでしょうか?
三ツ井: 入学したその日に、同級生の女子2名が、真っ白な上履きの紐をミッキー柄の紐に替えているのを見て、早速「和光の自由ってスゴいな…」と思いましたが、バスケ部に入って、前田もいたので、馴染むのにはそう時間は掛かりませんでした。両角先生にもスゴくお世話になりました。

今後を語る


聞き手: 今後、こうなったら良いなという展望などがあったら聞かせてください。
三ツ井: 今はコロナ禍という未曽有の環境の中で、少しでも日本の飲食業界の役に立てれば良いと思って活動をしています。これからは日本の企業もどんどん海外でチャレンジをしていかなければならない時代に突入すると思いますので、うちの会社も率先して海外事業に挑戦していきたいと考えています。それに向けて来月にはアメリカに法人設立をする準備をしています。この会社を通じて、日本の素晴らしい食文化を海外に輸出していく事業をスタートさせる予定です。

和光生にメッセージ


聞き手: 和光生にメッセージをお願いします。
三ツ井: 和光で学ぶ教育や和光時代の仲間の大切さは、和光の中にいるうちは分からないかもしれないけれど、皆さんは和光の歴代の先生方や卒業生達が苦労しながら積み上げてきた「宝物」をもらっていると思います。和光生は潜在的には世に出ても充分にやっていける「考える力」は備えていると思いますので①素直②勉強好き③プラス発想を忘れずに、どんどん色々なことにチャレンジしていって欲しいですね。
インタビューを終えて

(了)


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