卒業生インタビューVol.50
今回の和光人インタビューは、二人のお嬢さんのお母さんの一面も持ちつつ、現在も大手企業の第一線の営業でご活躍中の関 早紀子さんにインタビューをおこないました。子ども・学生時代のこと、そして、ご自身のこれまでに関してどのようにお考えなのでしょうか。
インタビュアーは、当時中学校の学年主任で、今も関さんを良くご存じの星野先生にお願いしました。
(聞き手…当時関さんの学年主任/現在: 和光大学・和光中高の非常勤講師 星野実先生)
現在は二児のお母さんとして。
聞き手: お久しぶりです。この間、上のお子さんと一緒に会った時以来だよね。その後、どうしていますか?
関:今日も、長女に星野先生とお話する…と保育園に行く前に娘に伝えたところ、一緒に来たがりました。お会いした当時はバイキンマンのことが好きで、星野先生が「バイキンマンが好きなの? うん、良いじゃない!」と仰ってくださったことを今でも覚えているらしく、お名前を出したら「私も一緒に行く~」としばらく言っておりました。
聞き手: 本当?! 覚えていてくれたんだ。1回しか会っていないのにそれは嬉しいね。
関:そうなんです。別に、正義のキャラクターでもないのを小さいながら、気に掛けていたところだったので。
聞き手:正義の味方だから良い、いわゆる悪役だからダメ!ではなくて、その子の好き!を肯定してあげることがきっと大事なのだと思うよ。
関:長女のほうは来年小学校に上がります。おそらく、近くの公立にお世話になると思います。次女はこの9月で2歳になります。
聞き手:あの子がもう小学生?! 長女と次女ではやっぱり違うの?
関:はい。だいぶ違いますね。長女はお風呂に入るのも、まずお湯の温度を足でちょんと入れて温度を確認してからゆっくり入る感じなのですが、次女のほうはもうすぐにドボンと入るといった具合で、まるで違いますね(笑)
聞き手: 2番目って、大体グッと動くからね。いかにも次女らしい。もう2人も育てているんだね。子育ても大変でしょう。
関:そうですね。でも二人ともとっても元気です。
和光学園を知る。 和光のおかげ?
聞き手:関さんは、先天性の下半身麻痺っていう障がいを持ちながらがんばってきたわけだけど、そもそも、あなたが「障がい」を意識したっていうのは、幼児期ぐらいの時だったのかな?
関:あの、私は和光には幼稚園からお世話になっていたので、人と違うなっていう意識は成長するにつれて認識はしていたものの、自分がいわゆる社会でいう障がい者・健常者みたいなものを認識したのは比較的最近でしたね。
それこそ和光のおかげだなっていうふうに思っていて。なんか和光って、「みんな違って、それで良い」っていう考え方が根づいてるようにも思うんですけれど、まぁ違うは違うんだけれども、いわゆる障がい者なのか、ちょっと助けが必要な人間なのか…っていうのはちょっと自分でも分からない感じでした。私の母親の方針もあって、私に手帳を取らせていなかったんですね。
なので、もう本当に障がい者っていう認識はそこまで子どもの時にはなくて、いざそれこそ大学に入って就職活動時期に車の免許を取ろうと思った時に、障がい者を認定してもらって、それで初めて運転免許のやり取りがあったりするんですよ。制度上のものが出てきて、なんか障がい者なんだ…っていうふうに。ある程度の認識はしていたものの、自分の中で再認識というか確信に変わったのが、その時でした。
それは逆に言うと、和光でなければ、逆にもう幼少期に普通の人とは違うんだって思っていたら、もっと卑屈になっていたかもしれませんし、もっとできないっていうふうに思って、できることが少なくなっていたかもしれません。それは本当に、両親ももちろんそうですけど、和光のおかげだなって思っています。
聞き手:和光を知ったのは、また何がきっかけだったのですか?
関:両親が和光を探してきたって感じです。母のお友達か、それこそ障がい以外にも外国籍の人や両親の仕事関係でのつながり中で、「一般のところに入りづらい人でもフラットに、みんな同じ環境でやっている学校があるよ」っていうふうに、当時の母の友人が教えてくれたようです。
聞き手:その頃は意図的に、「共同教育」って言っていたんだけれど、一緒に学校生活を送れるような障がいを持った人を入れようってことがあったのね。幼稚園からという和光幼稚園の印象は、最初のうちはどんな感じでしたか?
関:そうですね。正直、幼稚園・小学生ぐらいまでは、そこまで変わりはないというか本当に普通だったと思います。ちょっと違いでいうと、中学での運動会・高校の体育祭で特別ルールがあったと思うんですけど、小学校でもやっぱり特別ルールっていう名称ではなかったものの、「早紀子が遅れることによって、チームが負けて、結果的にみんなが嫌な気持ちにならないように」って、私だけちょっとスタート場所をゴールに近づけて、本人の最大限の力で走ろうっていうルールを設けてくれました。それ以外は特に違いは感じずに、逆にそれが私としても心地良かったんです。
聞き手:じゃあ、幼小ではその違いはほとんど感じず、運動会で初めてそう感じたけれど、日常の中ではあまり感じずに来たのかな。小学校のエイサーはどんな感じだったの? やっぱりちょっと踊りが違うのかもしれないけど、どんな形でやっていたのかな?
関:当時は、足の手術をちょうど小学4年生から6年生ぐらいまでかけてしていた時期なので、車椅子だったんです。なので、車椅子に乗りながら太鼓とバチも一緒にやる感じでした。エイサーは私も好きだったので、有志で集まって近くの農大に出かけて行って披露したり、エイサーのお祭りみたいなものにも参加させていただきました。6年生の時にはもうある程度ギブスが外れていて身動きが取りやすくなっていたのですが、小学校5年生のいちょうまつりでは、先生方が演奏しているお囃子を一緒にやらせていただいたりしました。友達と一緒に踊ることはできなかったんですけど、そういう形で参加させていただきました。
聞き手:小学校時代って、ずいぶん前のことになるのだけれど、一番の思い出って何かありますか?
関:やっぱり小学校6年生で、1年間かけて沖縄のことや当時の戦争のことを調べてきたことは、今も私の中に息づいています。本当に当事者の方々から、お話を伺ったりっていうのが、やっぱり今でも記憶に残っているんですね。
小学校ではそれをまた人に伝える(沖縄を伝える会)っていうのも、印象に残っています。
勉強してきたことを、両親にも伝えました。
聞き手: 学んだことを伝えると、余計にまた記憶に残りますよね。
早紀子、和光中学生になる。
聞き手: それで中学校に来て、私の学年に入って一緒にやったけれど、あの頃、中学校はさすがに思春期で大変でしたね…。
関:そうですよね。やっぱり。私も子育てを始めてみて、あぁ、そうだったんだろうなって察しがつくんですけど、やっぱり中学生ぐらいになると、私もそうでしたし、他の子も、他者を意識する、過敏に意識する時期だと思うので、いろんなことがあったなと思っています。
でも今、あの当時のお友達も実は連絡を取り合っているんです。やっぱりお母さん、お父さんになっていて、いろいろお互い思うこともあるものの、なんて言うんだろう。子どもを通して解消するじゃないですけど、良い機会になっていて、結構連絡を取っているんですよ。
聞き手:それはよかった。 館山水泳合宿はどうでした?
関:水泳は特別班を作っていただいて、なんか沖の方まで1回行って戻ってくるようなコースでした。館山で印象的だったのは、やはり後夜祭。そこに向けて、大教室で昼休みにみんなで歌声集会をしたり、ブロック活動では、私は涼風だったかなと思うのですが、出し物の練習をしたり、班活動を本気でおこなっていたのは今でも覚えています。
あれは本当に和光特有だな…って思いますね。特になんかこう多感な時期って、やっぱり熱中するのは、小っ恥ずかしかったりだとかするじゃないですか。それを解放させるのって大事だったなぁと思います。
特に今の時代は、子育てをしながら感じるのは、異学年と関わるのってなかなかないと思うのですが、和光の場合には、本当に自然に異年齢とも交流していますよね。
聞き手:そうだね、日本では珍しいと思うよ。普通はどこの学校でも、必ずなにかトラブルが起きるから、3年生のフロアーに行かさないようにするんだよね。和光の場合は意図的に交流する機会を作っている。3学年が一緒に行動したり、みんなで作っていく。それも5泊6日の合宿ですものね。
関:そうですよね。それが普通でしたね。
聞き手:館山の5泊6日の生活は3年生だとどうだった?
関:やっぱりお姉さんになりたい子もいて、何も知らない下級生に優しく接するという体験はすごくよかったなって思っています。他者に優しくするっていう根本ができると思いますし、下の子も上級生を見てしっかりしなくては!って、より自分を律する良い機会にもなったように思います。
その経験があるがゆえ、今、実は子どもを、たまたま異学年を積極的に交流させる近所の保育園に入れているんです
聞き手:今はそういう保育園もあるんだね。やっぱりあなたはその体験もあるからね。そういうことこそが子どもを育てるんだよね。
関:今、結構な年齢になってからは、なんだかずいぶん立派なこと言っていたな…っていうふうに思うんですけれど、当時は一生懸命にその子の為に頑張ろう! みたいな早く馴染めるように積極的に話しかけたり仲良くしたりして、モチベーションを一緒に上げようとしていたんだろうと思います。
聞き手:そうなんだよね。みんなそうやって上級生をやってきたんだよね。今でもね、なんか新入生の女の子が電気が点いていないと眠れないなんていうと、その子のために電気つけておくとかどっかで雑魚寝するところみんな本当に下級生に合わせる、一番辛い子にみんなが合わせるっていうような伝統があるみたいだよ。
関:それを教えずとも動けるってやっぱりすごい!と思います。なかなか見えないですものね。
聞き手:それでやっぱり自分も寝なきゃいけないんだけれど、寝られない子にずっと寄り添っていたとか、後から聞くと、そういう上級生は沢山いたみたいだよね。
思春期、真っ只中!
聞き手:秋田学習旅行に行きましたよね。私は、秋田に行く事前の下見では、「関さんをよろしくお願いします」って、農家の佐藤重光さんと事前打ち合わせを丁寧にやった思い出があります。
関:秋田のお父さんお母さんも本当に優しくて。それこそトラックの荷台に乗せていただいたり、本当にフラットに接してくださいました。
やっぱり障がいのある人と、今まで接してこなかった方も中にはいらっしゃるじゃないですか。佐藤さんも初めてだから。そうですよね。大丈夫かって言うんだから。そうだろうなとは思いつつ、変な意味でおっかなびっくりされなかったんですけど、本当にあの何人かでお宅に伺って、班のメンバーともまったく分け隔てなく、普通に接してくださったので、すごくありがたかったです。
聞き手:田んぼの畔道に座っていたり、作業も黙々とやっていたよね。でも佐藤さんも「すごく良かった」って言ってくれて、その後あなたの結婚した写真を送ったらとても喜んでいました。
それで、当時は中3で、大きな事件になったよね。どういうことが起きたんだっけ?
関:決定打はその秋田の帰りに。やっぱりみんなも疲れているがゆえに標的が自分になってしまったというところがあって。「私がいることで、みんなが遅れちゃうんだ」みたいなことを、一人が言い始めて。
聞き手:結局、数人が同調しちゃったんだったよな。
関:でも、私の仲良くしてくれた子が、「それはおかしいんじゃない? 全てを早紀子のせいにするのは変だよ!」って幼稚園から一緒の子も言ってくれましたし、「小さい頃から知っているのに、今さらそれを言うのもおかしいんじゃない!」って、いうこともパッと言ってくれました。
聞き手:そういうことをすぐ言ってくれたんだね。
関:そうなんです。それで一旦は収まったんですけど、秋田が終わってこちらに戻ってきてから、それがトリガーになったかはいまだにわからないですけど、ちょっとそういうことが増えていったっていうのがありましたね。
小さいことがだんだんと続いていくようになってからは、やっぱりその同調勢力が増えてしまって、結局、あの私の本当に近い数名以外とは、ちょっとこれは居場所がないなっていう時期が正直なところありました。
聞き手:あったね。それをどこかで私達も知ることになって。実際調査をしてみると、なかなか言葉もひどかったよね。それで、学年主任の私と担任とで、関さんのご自宅を謝罪のために訪問したこともありましたね。
関:なんか芋づる式に出てきた気がします。何人かから聞きました。
聞き手:それでも、こちらも随分指導をがんばったんだ。イジメの中心だった生徒にはそのお母さんにも来てもらって、お父さんにも協力してもらって。イジメる自分の弱さをしっかりと見つめてもらい、今の自分のを見つめ直すきっかけにもしてもらったよ。
関:今まではSNSとかで繋がっているので、連絡を取り合ったりしています。
聞き手:そうか。それじゃあ、今では普通に交流があるんだね。何だかホッとしたよ。
当時の授業で、印象に残っていることってありますか?
関:授業はやっぱり後につながる英語は一番好きでしたね。英語のベースをしっかり教えてくださった感じがします。
聞き手:中学校の英語の力はしっかり役立っているのかな。
関:そのベースがなかったら、実は留学行く前に行けるかどうかの認定試験があるんですけれど、それも適わなかったかもしれません。
和光高校では体育祭実行委員として関わる。
聞き手:和光高校に行ってみてどうだったの? 高校はクラスが変わらないじゃない? 高校時代っていうのは実際どうだった?
関:高校では長い4日間の体育祭があるので、高校2年生の時に、体育祭実行委員に立候補したんです。
特別ルールも生徒会の人と、障がいを持つ・持たない、どっちの不利にもならないように、すごく厳密なルールを作ってくださっていたのを知って、それを作る側に入りたいなと思いました。
聞き手:その時はバスケットをやったの?
関:私はサッカーを松葉杖でやっていましたね。ただ、ルールとしては、私が蹴っている何歩かの間は邪魔をしない。ボールを取りに行かない。ただ、その何歩っていうのがすごい緻密で…。
要は、そのどこまでもいけちゃうとゴールできちゃうんですけど、絶対的に私側の方が有利にならないように、何歩かっていうルールを決めて、それ以上を超えたらボールを取りにいっても良いよっていうルールでした。そのあたりがすごく和光らしいなというか、すごいユニークだなと思いました。
生徒自らがルールを作っているところを実感した瞬間でもありました。
あとは得点係をやったり、トーナメント式に表を全部一覧に書く。それってすごい計算が複雑なんですけど、その係を生徒会でやったりしました。
聞き手: 生徒会の仕事もいろいろ積極的にやっていたんだね。留学っていうのは、やっぱりご両親の気持ちの中には、娘を留学させたいという思いがあったのかな。
留学に行く前に相談を受けた時に、私は「留学!絶対行ったほうが良いよ。広い視野で物事を見た方が良い」って言ったと思うのだけれど。
関:そうでしたね。
聞き手:実際行ってみてどうだったの?
和光に通って、留学も経験できればさらに良しというのが、うちのゴールデンパターン!
関:高校はそれこそ高校2年生から3年生にかけてアメリカに行ったので、もう本当に3年生の受験時期に帰ってきたんですよね。
姉が高校生の時に同じご家庭にお世話になっていたので、じゃあ妹もっていう感じで、「早紀子も行ってみれば」って言ってくれたのが母でしたね。
和光に通って、留学も経験することで、更に深みのある人間に育てることが出来るという風に思っていたようで、うちのゴールデンパターンとして確立しています。(笑)
留学して自分の殻が破れる。大事なことは文法ではない!
聞き手:アメリカで一番印象的だったこと。改めて留学体験が今、記憶に残っていることはどういうことですか?
関:やっぱり、いろんなイベントごとはもちろん記憶には残っているんですけど、一番記憶に残っていることとしては、文化の違いが、やっぱりインパクトとしてどの内容に比べても大きいですね。
確か2000人ぐらいいるその地域の公立に行って、日本人は私一人でした。
日本だったら固定のクラスがあって、そこに先生が来るっていう、固定教室じゃないじゃないですか。でも、全部が移動教室で、かつ他に日本人がいない中で、限られた時間の中でお友達を作っていかないといけないんです!
聞き手:その科目ごとの移動クラスなわけだ。
関:そうです。2000人もいると、お昼も前後で変わる。なので、例えば1限目に仲の良いお友達ができても、そのお友達が自分のランチのタイミングと重なるわけではないので、たまたま重なっていれば一緒に昼食を食べてもっと仲良くなれるんですけど、そうとは限りませんでした。
結構そこの中で、かつ自分はヘルプをある程度必要とするので、「私にはこれがちょっと必要です」とか、「自分はそもそも留学生」ですって言っていかなきゃいけないこととか。
聞き手:言わないと分かってもらえないからね。
関:そうなんです。やっぱり私の行った地域がカリフォルニアのすごく南で、メキシコの方とか、いろんな人種の方がいるので、言わなきゃ留学生って分からないような状況でした。
余計に「私は留学生です、よろしくお願いします」って言って回らなきゃいけないことなので、そのヘルプも同じなんですけれど。
そのあたりの文化の違いで言うと、例えば日本だと、まぁ最近はそうでもないですけど、一昔前までは足が悪かったり、目が見えなかったりすると、こうちょっと遠ざけるというか、大丈夫かな?っていうのを遠目で見るような人たちが多かったと思うんですけど。
あっちではなんか積極的になんか「どうしたの?」みたいな。「なんか杖ついてるけど、どうしたの?」みたいな。「あの杖ついてるけど、ちょっと怪我でもしたの?」ぐらいの明るく軽い感じでした。
「いや、生まれながらなんです」って言うと、「ああ、そうだったのね」みたいな。
「でもあれ、ちゃんと歩けてるじゃん!」みたいな、すごいポジティブなんです。
「ところで次ダンスパーティーあるけど、行く?」みたいな感じです。
もう本当にできることでは一緒にやらせてくれますし、その障がいや病気に対してオーバープロテクトをしないっていうのはすごく驚きもしましたし、それが心地良かったのです。
また、その学校だけなのかわからないんですけど、障がいの人と関わる授業っていうのがあったんですよ。日本だと公立に行っても、特別クラスとかそうじゃないクラスで分かれているんですけど。それが法律の中で合同されていて、かつ、その子たちをケアするクラスがあって、それも単位になるんです。
そこで視野が広がるようにシステム化されていたので、それもあるのかなっていうふうに思います。
聞き手:それで積極的に行動できるようになったんだね。和光の「共同教育」というのは、当時はまだ珍しかったし、とても先進的だったけれども、それ以上ですね。
関:そうですね。なおかつ私のいたところなんてもう全然郊外、田舎の方なのに。田舎の本当にもう全然私立とか見ない公立で、それが実施されていたのはすごくびっくりしたところですね。
聞き手:授業でしょっちゅう動かなきゃいけないのに、あなたって移動するのにもちょっと時間がかかってたのに。次々っていうのは大変だよね。
関:なおかつアメリカのロッカーってすごく開けづらくて、何度かもうみんなもう叩き割るくらいの勢いで開けるんですよ。ロッカーは開かないし教科書は重いし。言葉も大変でした。リスニングはできる方だったので、なんとか言ってることはわかるんですけど、アウトプットする機会が圧倒的に日本ではないじゃないですか。分かっているけど言えないっていうのがすごくあって。アメリカのお世話になっていたお母さんにも、意図的に車でのお散歩に呼び出されて、「この30分間は私と強制的に喋りなさい」っていうくらい喋れなくて、喋りたいんだけどな…というのがしばらく続きました。
聞き手:しかも、伝えるってことは難しいですね。
関:そうですね。しかもなんか、これも日本の人あるあるで、特有のものかもしれないんですけど、外部からの見え方を気にしてしまう。これは間違っているんじゃないかとか、これ言ったら恥ずかしいんじゃないかとか、これ言ったらもう本当に日本人、日本人だなってバカにされちゃうんじゃないかなとか、なおのこと言えなくなってっていう期間がありました。
聞き手:自分のことが喋れるようになるとやっぱりコミュニケーションが劇的に変わってくるよね。
関:そうですね。一番大きいのは、自分のそうしなきゃいけない自分像みたいな殻を破った瞬間から喋れるようになって。なんかこう間違ってもいいから、文法はぐしゃぐしゃでも良いから伝わればいいやっていうふうに、恥ずかしさを忘れてじゃないですけど、やらなきゃいけないんだ!っていう気持ちの方が勝った時にはある種の良い意味での諦めみたいなのを持った瞬間から話せるようになりました。
聞き手:実際は英文法とかじゃなく、自分の心から思った時に世界が広がるんだね。そうすると、やっぱり和光の中高とか、授業も一方的じゃなくて、生徒の発信を大事にしているから和光の授業は活きている感じ?
関:そうです。中学、高校でもいろいろディスカッションやディベートとか、そういうのは活きています。
中学や高校で、外国の先生が来てお話しするクラスがあったんですけど。それもあって、余計にリスニングの力、ネイティブな人から聞く英語っていうのにも慣れる機会にもなりましたし、その相手に発信するのにも、そこでもある程度培われてきたかなって思っています。
時代は変わってきている。
聞き手:和光中学校も、自己表現と他者理解を通して相手を理解するっていうのをすごく大事にしている。やっぱり発信するっていうことは、社会に出ると、本当に大事になってきていますよね。もう記憶するのは、ほとんどAIが主流じゃない。
あとはそれを使ってどうコミュニケーションするかだよね?
私は、そろそろ偏差値とかいうのもなくなっていくんじゃないかと思っているし。社会はもうどんどん自己表現と他者理解を深めて、一緒に協力して作っていく方向にシフトしていっているようにも思うよ。
だから、私のイメージとしては、ちょっと前まではやっぱり偏差値中心で、なんか正解のあるパズルをいかに早くできる人が良い人だったよね。
でも、これからはレゴをみんなで作り合う。そこに正解はないから、異質な他者と共同してつくっていく。それぞれのレゴを持ちよって、みんなで作っていくような、もう社会はそっちの方向へ変わってきているんじゃないかな。 そんな気がしない?
関:やっぱり、社会に出れば出るほど予想できないことばかりが起きるので、その予測不可能なことに対してどう整理して対応できるかが本当にすべてだなと思います。なんだか不思議なのが、また和光に戻ってきたいっていう気持ちになります。安心できる大人が家の外にいるっていうところはすごく和光らしいというか、自分にとって本当に第二の家族じゃないですけど、すごく安心できる場所だなあって思っています。なかなか自宅から遠いので心配もありますが、うちの娘も中学からでもご縁があれば行かせたいなって思います。
聞き手:それは嬉しいな。ぜひぜひ娘さんを和光中学校に通わせてくださいね。もう私は退職しているので、「待っています」とは言えないけど。(笑)
《今回のインタビューを終えて》星野 実先生からの感想
関さんは、背が大きくないし、目立たないタイプで、中学時代はとてもおとなしいイメージがあったのですが、内面はとても芯があって、自分のペースでやり切る「頑張り屋」でもありました。高校時代に「外国留学」について相談された時に、思い切り彼女の背中を押して留学を薦めたのですが、帰国してきた時の顔がとてもたくましく、アメリカで「大きく伸びたなあ」と思った事があります。今回驚いたことは、和光学園在学中はほとんど「障がい」を意識する事がなかったということ、それでも思春期の中学時代には、イジメに遭う経験もしたけど、寄り添って支えてくれた友達とも、いじめた友達とも、今でもSNSで繋がっていて、交流しているところが和光生らしいなあと思いました。和光学園が昔から持っているお互いを認め合い、異質な他者でも理解し受け入れて、さらに交流を深めていく教育方針は、今の日本の現状だからこそ、さらに輝くと思っています。今回のインタビューでも、就職試験の大変さや現在の仕事についてもいろいろお聞きしたのですが、ぜひ、BIZREACHの「できないなんて、誰が決めた」 両脚まひの私がグーグルで営業をする理由をお読みください。和光学園卒業後にさらにたくましく成長している彼女の姿をご覧いただけます。関 早紀子プロフィール:
和光幼稚園~和光高等学校を和光学園で過ごす。(途中1年間米国留学を経験)上智大学卒業。
外資系IT企業にて勤務。




