卒業生インタビューvol.36



今回は中・高と和光学園で学ばれ、現在、NHK記者をされている鈴木有さんにお話を伺いました。お忙しい毎日のようですが、日頃どのようなお仕事をされているのでしょうか。また、これまでどのような歩みをされてきたのでしょう、その辺にもご注目ください。

今回のインタビューは、中学2年~3年当時担任だった榛葉文枝先生にお願いしました。さて、どんなお話しが聞けるでしょうか?

榛葉文枝先生(以下、聞き手): こんにちは。実際に会うのは結婚式以来ですね。今日は初めて息子さんとも会いますね。(息子さんは)今、何歳なの?
鈴木有さん (以下、鈴木): ご無沙汰しています。(息子は)瑛(えい)と言います。3歳です。今日はよろしくお願いします。
聞き手:就職したのはNHKですね。 今はどんな部署にいるの?
鈴木:最初に赴任したのはNHKの鹿児島放送局でした。最近、転勤でまたこちらに越してきたんですよ。現在はNHKの報道局科学文化部で文部科学省担当をしています。
こんな会話から始まったインタビューですが、今回は鈴木有さんご本人と(2人目がお腹の中にいるという大事な時期の)奥さまと2歳の息子さんのご家族3人で久しぶりの母校を訪ねていただきました。インタビューの途中、瑛くんと奥さまはちょっと外遊びに出かけました。

自分の個性を模索した中学時代

聞き手: 早速ですが、2000年度中学卒業ということで、1年生の時は寄藤先生が担任、私は(中学校の2年3年と)2年間担任をしたのは憶えているのですが、和光中学校で40年、その後も非常勤として7年も教師をやっていると、だんだんと(学年の)横と縦の関係が分からなくなってくるのよ。
中学3年生の時の名簿を探して持ってきましたが、ホントにそうそうたるメンバーよね?!(笑)
男子は、健太、章吾、宗周、昇吾…。女子はサラ、麻由、吾紗、朝子がいて、私も今にして思うとエネルギー使ったなぁって(笑)
章吾に「健太に嫌われたらこのクラスでは生きていけないよ」って、最初に注意を受けましたよ。(笑)
当時、転入してきた矢澤くんが、今は和光中学校の数学の先生なのよ。
中学を卒業してからの様子を教えてください。
鈴木: 僕の頃は鶴小の1期生が入ってきた年なので、中学5学級、高校7学級と1クラスずつ多かった年なんですよ。
聞き手: そうか、あのクラスだったなぁ~って思ったら、一気に16年前に引き戻されましたよ。有は和光中学で3年、和光高校の3年、その後慶應大学に行って、大学4年と大学院で2年の6年間を過ごし、今年31歳になるのですね、自分の人生を大きく区切ってみるとどうなるの?
鈴木:小学校から中学校に入った時が人生の中でも大きな節目で、和光の文化に触れたことは自分にとっての転換期だったと思います。中学はスゴイ面白い人達がいっぱいいて、その中で高校では自分が目指す進路を決めた時期で、中高はカルチャーショックを受けた衝撃的な6年間だったかなって(笑)

和光中学校に入ったのは?

聞き手:そもそもなんで和光中学校に入ろうと思ったの?
鈴木:姉が和光に通っていたのと、同じマンションに住んでいる人が和光に行っていて、自由な校風で面白いって聞いて、僕も行ってみようかなと思ったんです。
その後、中学受験をして和光中学校に入学しましたが、まず最初に驚いたのが、友達に話しかける時に、当たり前のように下の名前で呼ぶっていうのが衝撃的でした。章吾とか、泰吾、健太とか、萌、蓉子、サラとか…。
小学校は公立だったので、苗字で、○○くんとか○○さんとかって呼ぶのが普通だったので。それに慣れるのにだいぶ時間がかかったのを覚えています。
聞き手:あの当時、クラス替えはあった? なかった? ひと言で言うとどう言う中学校生活だったの?
鈴木:僕らの頃はクラスのメンバーは3年間持ち上がりでしたね。そのおかげでクラスの絆は強かったように思います。
僕の家では、昔から親が図鑑やら本を買ってきてくれて、元々理数系に興味はあったんです。普通に小学校を過ごして、中学校に入るわけですが、その時感じたのは、このように個性の強い人達のクラスの中で、自分はあまり個性がなかったので、その中でやっていけるかなという思いは正直ありました。鶴小コミュニティ、和光小コミュニティがそれぞれあり、個人個人の個性がこんなにも発揮されている学校の中で、中学1年生の時すでに圧倒されていて、実は個性がないのでどうしようかなって思ってました。クラスに馴染めるのか、心配でしたし、自分の個性について考え始めた、ひとつのきっかけだったかなと思いますね。
中学生活がしばらく経ってから、勉強ならできるかな?!と思い始めて、勉強をきちんとすることが、自分の個性なのかなって思ってました。(先生にも言われたんですが)成績は着実に伸びていたようで、その後そのまま進んだ高校では継続して勉強していこうと思っていました。その時点で大学は理数系に行こうと決めてましたし、今の仕事での知識とか専門的に役立っていることの多くは大学で形成されたかなって思います。

『和光の力は人間力だな…と思う』

聞き手: 和光は、行事で発揮する力に比べてペーパーテストには弱いと言われることがあるけれど、それについてはどう思いますか? 授業とか日常生活で付いている力は?!
鈴木:学力って言うと、一般的にはペーパーテストで計られます。一方で、和光は学力と言うより「人間力」の学校だなって強く思うところがあって、一人一人の自分の強みとかやりたいことが、明確に決まっている人がいっぱい居て、その好きなことをひたすらやっているじゃないですか。それをやり続けていけばいいと考えている人は、ペーパーテストで計られる学力だけに注力しなくても、社会の中で暮らしていけるのが和光の強みかなって思います。
聞き手:「人間力」という土台の上に、本当に自分がこれをしたいと思った時に力を発揮することができる、ということですね。それは分かりましたが、中学も高校も授業に関してはどうでしたか?
鈴木:和光の授業っていうのは、割にハッキリしていて、特徴は「遅れている人を出さない」というところだと思います。授業の中で、頭の良い人が分からない人を教えたりするわけで、説明する人も、(分からない人が分かるように)説明できないと、自分でまだ理解していないんだなとわかる。そういう教え合いは多くあったと思います。その中で、みんながみんな一緒に理解していくという風土があったと感じています。
聞き手: 私は明星出身なので、良くわかるのですが、和光も明星も、考え方は同じだと思います。「みんなで学ぶ」という実感がありました。高校では自分の興味関心をさらに多くの選択授業で道を広げてたということだったのですね。
鈴木:一方で、和光は個性のない人は苦しむところだと思っていて、それが見つけられないと、キツイところではあると思います。和光小や鶴小から来た人は強い個性を発揮していて、そこが和光の教育の特徴だと感じます。

自らが開花した瞬間

聞き手:2年、3年の私の担任した時に、その人間力が付いたなぁと思う瞬間とか印象的なことはあるの?
鈴木:演劇祭の時に木村章吾がサッカーの試合で足の骨を折って、僕が代打でクラスの3役に入るっていうことがありました。3役は椎葉多恵子と麻由と…って感じだったんですが、3役が欠けるってことで、特に目立った個性はなかった自分が選ばれた時は嬉しかったと感じたことを覚えています。みんな僕のことを見てくれていたんだってね。 そもそも2年の演劇祭の時でも、僕は大道具兼照明で、人前に立って何かするってタイプではなかったんですよね。
聞き手:そうよね。おとなしかったものね。それが3年ではキャストとしても出たのでびっくりしましたよ。(笑)踊りも踊ってね。それが有のリーダーデビューというか、主役デビューというか、初体験だったかもしれませんね。
結局のところ、3年の演劇は、原作が、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。最初、決めるにあたって私もクラスの何人かと一緒に(映画を)観に行ったもの。すごい前評判だったけど、実際は暗~い映画で、カメラが静止して、ストップモーションになったかと思ったら、今度はカメラを揺らして撮るんですよね。画面が揺れて私なんか気分が悪くなって、外に出ようかと思いましたよ。最後、絞首刑で終わる映画でしたね。
「これは、 絶対無理だ。せっかくの卒業公演なのにあなたは何を考えているんだ!」って学年主任の両角先生に散々言われたけれど、クラスで討議したときに「もうこれは止めよう」って言う前に、宗周が「これ、やりましょう!」って言い出して、あの時の宗周の熱意に押されましたよね、クラス全体が。宗周にほだされて、みんなが協力した劇づくりになりましたね。でも一体どうしてみんながお互いに理解し協力し合えるようになったのですかね~。
鈴木: 和光って極めてイジメがない学校だと思っています。お互いがお互いを理解して、それぞれが尊重し合って、その時はそんなことがなんでできたんでしょうね? 現在、文科省で働いているのでいじめの問題などに触れる機会も多いのですが、和光は不思議ですよね。
いじめられそうな子がいても、相手がどんな人間か理解して許容していっちゃうんですよね。それが自然とできているっていう感じで。
聞き手:あの劇は生徒が中心になって作った演劇だったと思っています。脚本も全部自分達で作って、練習を始める時も担任はただ見ているだけでした。
その前の年(2年の時)は『ジグソー』という演劇で、パズルのピースはひとつでも欠けたらダメだというテーマでした。出てくるキャストも少なかった。
3年の時の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は全員がキャストであり、スタッフでもありました。私も出演してダンスを踊りました。楽しませてもらいましたよ。(笑) とにかく生徒自身の力で全てをやるっていうのは良いことだなって思いました。その中で、有はピンチヒッター(代理)で開花した。初めてあそこでリーダーシップを取ったっていう感じでしたね。
鈴木:和光で育った6年間はホントに貴重な体験をさせてもらったと思っています。今の仕事で取材していて多種多様な人を相手にするのだけれど、和光の時にホントに個性の強い人を相手にしていたから(笑)、ありがたかったなぁっていう感じですね。 自分とは違う人を認めるってことと、相手を排除しないということではね。
聞き手:高校ではどんな風に専門性を学ぶことに結びついていったの? 高校の物理の授業はどんな感じでしたか?
鈴木:高校は選択の幅がすごく広くて、5人とか少人数でも実験をやってくれて楽しい授業でしたね。

NHKの記者とは…。

聞き手: 大学院まで卒業して、実際は何がやりたかったのですか?
鈴木: 元々、学者になりたかったんです。でも、それって自分が日本で1番頭良いと思えるくらいじゃないとダメなんですね。大学時代に周りのスゴイ人をいっぱい見ていたので、さらに理解力が私にはなかったので、学者になるのは難しいかなって思ったわけです。
就職活動の時はメーカーなどをずっと受けてたんだけれど、NHKで記者をしている大学の先輩の話を聞いてみると面白そうだなと感じて、記者になりたいと思うようになりました。その前までは、NHKの技術研究所も有りかなって思ってたんですけど。
聞き手:もし、学者だとしたらどういう方向に進むことが予想されたの? 今話題の重力波とか??
鈴木:相対論的量子力学とかの先を学んでみたかったですね。
聞き手:結構勉強しても難しいって判断して、それで自分を生かした方向に転換したわけですね。 少し横道にずれますが、重力波の定義って、朝日新聞では、「波なのに実体ではなくて現象」と書いてありました。疑問に思いましたよ。 簡単に説明してもらってもいい?
《ここで有先生のミニ講義。手元にあったペットボトルを使って重力波について、短時間ひとしきり触りの部分を語り始める。理系の話に共感して何となく共感して満足げなお2人…(笑)》
そういう中で大学に行って道を決めて、NHKに入社。職場としてはどうですか?
鈴木: 文科省担当として、特に科学技術関係の担当をしています。文科省は色々研究所などを所管していて、JAXA、海洋研究開発機構、理研、防災研究所、それに国立科学博物館も所管なんで、それが全部担当になっているっていう感じです。
科学関係と技術開発に関すること、ロケットの打ち上げや人工衛星も、そして先日の北朝鮮が人工衛星と称して弾道ミサイルを発射したときも担当をしていました。
大晦日に呼び出されたのが113番目の元素を発見したっていうことが発表されて、すぐに理化学研究所に出かけて行って、紅白歌合戦の合間にも読まれたニュースの記事も実は僕が書いてました(笑) 仕事としては、研究発表を原稿にして、それをアナウンサーが読んだり、時には直接リポートしたりすることもありますね。
聞き手:先日新聞に載っていた「人類は日本にどう渡ってきたか、3万年前の航海再現へ」という海部陽介さんの取り組みもとても面白ですね。陽介さんは、和光高校の海部先生の息子さんですが、このような分野の話題も取材するのですか?
鈴木:今度、史上最大の肉食恐竜スピノサウルスも取材にも行きます。
聞き手:やり甲斐がありそうね。でも外から見ていて気になりますが、NHKでは表現の自由は保障されているのですか?
鈴木: 対立する2つの意見がある時には、バランスを取りながらじっくり聞き込んで両方を載せています。

自分が何で「光る!」のかということ。

聞き手: 後輩や読んでくださる方にメッセージをひと言お願いします。
鈴木: 和光は個性を伸ばせる・見つける所なので、自分の個性について考えることは必ずしてほしいし、見つけてほしいなって思います。自分が何で「光る!」のかを見つけてほしいと思います。和光を選ぶ人達には…。和光学園というのは特色のある学校で、勉強だけでなく面白いこともいっぱいやらせてくれるところなので、ぜひ目的意識と自信を持って入って来てほしいですね。
聞き手: 現代は一般的には暗記量を重要視する世の中だけれど、そのことについては??
鈴木: ペーパーテストではハードディスク型が評価されるので、僕はもっとOSみたいなものが評価されるべきだと思っています。知識量だけではダメだってことは、国も段々と分かってきていて筆記試験でも記述式を取り入れつつありますよね。そうなってくれば、和光も強みを発揮できるのではないかと思います。
受け皿となる学校が暗記式っていうのが実情ですよね。でも、社会が、和光寄りの考え方に変わってきていると思います。
聞き手: 卒業生にはなにかありますか?
鈴木: 卒業してからも和光生同士で固まるのも良いけれど、外に向かってもどんどん発信してほしいと思っています。和光生は、他者に理解されないとなると縮こまってしまうところがあります。中学高校時代には、誰もがお互いに理解できていたことが、社会に出ると理解されなくなってしまい、和光生同士で集まることが多いように感じます。しかし、世界で活躍している人たちというのは、他者から理解されない人たちって多いように思います。才能が埋もれてしまっているんじゃないかなと、思うところがたくさんあるんです。
和光生も、理解されなくてもいいので、縮こまらず、外に出て行って欲しいと思います。そうすれば、必ず、活躍できると思います。
将来の夢とは…。
聞き手: 最後に、将来の夢を語ってください。
鈴木: 個人的な夢としては、宇宙に行ってみたいです。宇宙飛行士になるのは無理なのですが、これから、宇宙旅行というのが本格化していく時代に入ります。その動きを、取材して、実際に宇宙からリポートしたいですね。今でも、宇宙関係の取材はしますが、どんどん宇宙が身近になっていくのを感じています。
一方で、記者という仕事をする当初の目標は、研究者の地位を高めていくということです。それは今でも変わっていません。現在の日本社会は科学技術が土台を作り上げていると私自身考えています。しかし、世界の中では、日本は理系冷遇社会と言われています。頑張って研究者になっても給料が安く、一般の人から尊敬もされない。さらに、安定した職に就くことすら本当に難しいんです。こういった問題点を発信して、理系冷遇社会を変えていけるような記事をどんどん書いていきたいですね。
聞き手: 夢は広がりますね。今日は長い時間ありがとうございました。どうぞみなさん元気でね。

了)
 
自分の専門の力をフル回転させ、日々記事を書く事を楽しんでいる有くんの姿に元気をもらいました。「日々の学びなしには、正確な記事を書く事はできない」という強い意志と、「異質な他者を理解しながら自分の個性を大切にする」という柔軟な姿勢に学ぶ事が大でした。有くんに負けないように、私も…と思ったインタビューでした。(榛葉)

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